石川さゆりさんは、歌手としてだけでなく女優としてもその美しさと才能を発揮しています。そんな彼女の結婚や離婚、そして再婚について気になる方も多いのではないでしょうか。
石川さんが結婚した相手や、再婚相手はいるのか?子供、孫の存在について調べました。
石川さゆりの元旦那は馬場憲治
1981年、23歳だった石川さゆりさんは、当時ホリプロでマネージャーをしていた馬場憲治さんと結婚しました。馬場さんは、石川さんより7歳年上で、結婚後はフリーライターやカメラマンとして活動しています。現在は、京都府の情報通信会社の社外取締役を務めつつ、Yahoo!セカンドライフのサポーターとしても執筆活動を行っています。
週刊文春によると、ホリプロの社員とタレントの交際は禁止されていたため、馬場さんは結婚前にホリプロを退社。その後フリーライターとして活動し、結婚した年に出版した『アクション・カメラ術』はシリーズ累計170万部を超えるベストセラーとなりました。この本は、下着や水着の盗撮技術に関するハウツー本で、「盗み撮りのエロチシズム」と題されていました。石川さんは後に「彼も必死だった」とコメントしています。
馬場憲治さんは、ホリプロ時代には森昌子さんや石川さゆりさんの宣伝を担当しており、仕事を通じて石川さんと親密になりました。1981年に結婚式を挙げ、1984年には一人娘の佐保里さんが誕生します。しかし、二人は1989年に離婚し、この離婚は「芸能界における平成最初の離婚」とも言われました。娘の佐保里さんは石川さんが引き取り、母子で暮らすことになりました。
石川さゆりさんの結婚から離婚、そしてその後の歩みにも多くの関心が寄せられています。
石川さゆりと元旦那の馴れ初めや結婚の決め手
石川さゆりさんと馬場憲治さんの出会いは、タレントとマネージャーという立場で、長い時間を共に過ごすうちに互いを意識するようになったのがきっかけでした。二人の間には約4年間の「禁断の恋」が続きましたが、馬場さんはその後ホリプロを退社。当時、マネージャーが担当するタレントとの恋愛はご法度とされていたため、退社が必要だったのです。
退社後、馬場さんは「アクション・カメラ術」という著書を出版し、大ヒットを記録。この成功が二人の結婚を後押ししたと言われています。カメラの知識を活かしたこの著作が、結婚に向けた安定をもたらしました。
石川さゆりさんは、馬場さんのプロポーズを受け入れた理由について「好きだったから」と語っています。こうして、二人は結ばれ、1984年には長女の佐保里さんが誕生しました。
しかし、結婚生活は続かず、1989年に二人は離婚。その後、石川さゆりさんは一人娘の佐保里さんを育てながら、歌手としての活動を続けていきました。
夫婦生活エピソード
石川さゆりさんは、スターとして歌手活動を続ける一方で、結婚後は馬場憲治さんの実家に暮らし、大家族の生活を送っていました。馬場家の敷地内には、馬場さんの両親、兄夫婦とその子供3人、弟夫婦とその子供1人、そして石川さん夫妻と長女の佐保里ちゃんの3世帯、4家族が同居し、総勢13人の大家族生活が展開されていたのです。
石川さんは、この環境で家庭と仕事を両立させながら、歌手としての活躍を続けていました。
石川さゆりと馬場憲治の2つの離婚理由
1989年、石川さゆりさんと馬場憲治さんは、結婚生活に終止符を打ち、離婚を発表しました石川さんは離婚時の会見で「頑張ったけど、ダメでした」と心情を語り、その言葉が多くの注目を集めました。
この離婚には、主に2つの大きな理由があったとされています。
離婚理由①嫁姑問題
石川さゆりさんと馬場憲治さんの離婚には、大家族での生活が大きく影響していたようです。石川さんは、結婚後に夫の実家で、夫の両親、兄夫婦とその子供3人、弟夫婦とその子供1人、そして自分たち夫婦と長女・佐保里さんという3世帯4家族13人での生活を送っていました。この環境で、石川さんは家事や育児に追われる毎日を過ごしていたのです。
しかし、夫の実家での生活には多くのストレスがありました。特に、義母との「嫁姑問題」が石川さんを悩ませていたと言われています。義母は非常に厳しく、例えば味噌汁を作った際に「しょっぱすぎる」と怒られることがあったそうです。また、外泊を許されず、2日間の公演があっても日帰りで家に戻り、翌日は早朝から再び公演に向かうなど、肉体的にも精神的にも大きな負担を抱えていました。
石川さんは、義母からの理不尽な要求や批判に耐え続け、家族のために尽くしていたものの、次第に心身ともに限界に達してしまいます。特に正月には、自分の実家に帰ることができず、家族のために働き続けました。しかし、離婚後、初めて正月に実家に帰った際には「こんなにホッとできる空間があるんだ」と、改めて心の安らぎを感じたといいます。
こうした状況が、夫婦関係に悪影響を及ぼし、最終的には1989年に離婚に至る大きな要因となったのです。
離婚理由②喜多嶋修とのW不倫
石川さゆりさんと馬場憲治さんの離婚には、もう一つの大きな要因として不倫問題が挙げられます。1981年に馬場憲治さんと結婚した石川さんですが、1989年の離婚の背景には、音楽プロデューサーの喜多嶋修さんとのW不倫が関わっていたとされています。
喜多嶋修さんは1970年に女優・内藤洋子さんと結婚していましたが、1991年に石川さゆりさんとの不倫が週刊誌で報じられました。この不倫関係は、数年前に喜多嶋さんが石川さゆりさんのアルバムをプロデュースした際に始まったと言われています。当時の週刊誌では、石川さんがレコーディング中に自分の夫と子供が近くにいるにもかかわらず、喜多嶋さんに寄り添っていたと報じられました。
不倫が発覚した当時、喜多嶋修さんはロサンゼルスを拠点に活動しており、石川さんとは国境を越えて関係を続けていたとのことです。石川さゆりさんは1989年に馬場憲治さんと離婚していますが、このW不倫がその引き金になったとも言われています。
また、不倫発覚前に出演したトーク番組で、司会者が喜多嶋修さんの話題を振り、「喜多嶋修さんは内藤洋子さんのご主人ですね」と言った瞬間、石川さんが突然激怒したことが話題になりました。その後に不倫が明るみに出たため、石川さんの激怒の理由が世間に知られることとなりました。
このW不倫は、石川さゆりさんと馬場憲治さんの離婚に至る決定的な理由の一つであったと考えられています。
石川さゆりに再婚相手はいない
石川さゆりさんは元夫の馬場憲治さんと1989年に離婚して以降、再婚はしていません。離婚当時、32歳という女性としての魅力を持ちつつ、子供を抱えるシングルマザーとしての生活を送っていました。そのため、周囲の男性たちから注目され、音楽プロデューサーや実業家、テレビプロデューサーなど複数の男性との関係が噂されました。
具体的には、ミュージシャンの喜多嶋修さんや、石川さんの個人事務所で働いていた男性、音楽番組のプロデューサーとの仲が取り沙汰されていました。また、2009年には元夫の馬場憲治さんとの再婚説も浮上しましたが、これも単なる噂に過ぎなかったようです。
現在、石川さゆりさんは再婚せず、母親と娘・佐保里さんの3人で穏やかな生活を送っています。母親からの支えを受け、娘から刺激を受けながら、歌手としての活動を続ける石川さん。その日常の中で培われた温かな家庭生活が、石川さんの芸能活動を支え、いまの彼女を形成しているのです。
石川さゆりが再婚する可能性はある
石川さゆりさんが再婚する可能性については、2017年9月の「女性自身」のインタビューで触れられています。その際、石川さんは再婚について尋ねられ、「そんなのって! 私にもわかりません。いつ、どんな出会いがあるかわからないし」と答えました。この反応からは、未来のことを予測するのが難しいという無邪気な気持ちが伝わってきます。
一方で、石川さんは「今年とか来年というスパンでは、いまの家族がいちばん」と述べ、母親と娘との現在の生活が最も大切であると強調しました。石川さんの母親は明るく、朝から「おっはよう」「おはこんにちは!」と心地よい挨拶をするなど、家の中に温かな雰囲気をもたらしています。玄関には母親専用のスペースがあり、石川さんが仕事に出かける際には、そこに座って「行っていらっしゃい」と見送ってくれるそうです。この支えが石川さんにとって大きな力となっていると語っています。
このように、石川さゆりさんは現在の家族との生活に満足しており、再婚よりも現状の家庭の幸せを優先しているようです。
母親と娘と3人で同居生活中
石川さゆりさんは現在、母親と娘と共に3人で同居しています。シングルマザーとして子育てをしながら歌手活動を続けてきた石川さんを、母親が支え続けてきました。
この3世代同居は、温かく楽しい雰囲気が漂っているようです。母親と娘との共同生活は、家族の絆を深めるとともに、日々の暮らしに彩りを加えているのでしょうね。
石川さゆりには娘が一人いる
石川さゆりさんの一人娘、佐保里さんは1984年生まれで現在39歳です。佐保里さんの職業は公にはされていませんが、石川さゆりさんの個人事務所「さゆり音楽舎」で働いているとの噂があります。彼女は時折母親と共にメディアに出演し、ホンダのCMや雑誌で親子共演を果たしています。
佐保里さんは石川さゆりさんに似ており、美しいと評判です。母娘での共演は、親子の絆を感じさせる一幕となっていますね。
石川さゆりの娘は結婚してないため孫もいない
石川さゆりさんの娘、佐保里さんは現在も独身であるとされ、孫がいないと考えられます。結婚に関するニュースも報じられていないため、石川さゆりさんには現在のところ孫はいないと思われます。
石川さゆりの娘は病気ではない
佐保里さんには、過去に病気や対人恐怖症に関する噂があるようです。これは、彼女がイギリスに留学していた際に経験した人種差別的な待遇が影響しているとされています。このショッキングな出来事が原因で、対人恐怖症を発症したとの情報もありますが、具体的な証拠はありません。
石川さゆりさんは、娘の対人恐怖症については落ち着いてきているとコメントしたことがあるようです。現在、佐保里さんはおばあさまと母親である石川さゆりさんと共に暮らしており、心穏やかな日常を過ごしていることでしょう。