俳優・歌手として活躍中の森崎ウィンさん。
とてもイケメンな森崎さんですが、名前からも純日本人というよりもハーフっぽい印象を受けますよね。
しかし、調べたところ、純粋な外国人ということが分かったんです!
今回はそんな森崎さんのご両親の国籍や生い立ちについて調べてみました。
森崎ウィンはハーフではなくミャンマー人
「森崎ウィン」という名前から、両親のどちらかが日本人のハーフであると想像する人も多いのではないでしょうか。
しかし結論を言うと、森崎さんは両親ともにミャンマー人でハーフではありません。
生粋のミャンマー人だったんです!
森崎さんのプロフィールを見てみましょう。
引用:https://www.banger.jp/movie/50153/
- 名前:森崎 ウィン(もりさき うぃん)
- 生年月日:1990年8月20日
- 出身地:ミャンマー・ヤンゴン
- 血液型:O型
- 身長:174cm
ミャンマー人なのに苗字が「森崎」であることや、なぜ日本に来たのかと色々気になりますよね。
ここからは、森崎さんのルーツや苗字の謎について見ていきましょう。
国籍は現在もミャンマー
引用:https://columbia.jp/artist-info/morisakiwin/prof.html
日本での滞在歴が長いそうなんですが、国籍は現在もミャンマーなんだそう。
そんな森崎さんですが、幼い頃から日本で生活しているため、すでに日本に帰化するための条件は満たしているらしいのです。
そのため、森崎さんは日本に帰化することを考えたことがあるとの事。
仕事で海外に渡る際、ミャンマー国籍よりも日本国籍の方が渡航しやすいそうで、日本への帰化を考えていたんだそうです。
引用:https://type.jp/st/feature/7072/
しかし、母親にこんなことを言われます。
その言葉を聞いた森崎さんは
と感じ、ミャンマー国籍のままで活動を続けることを決意しました。
その結果、2018年にはミャンマー観光大使に任命されるなど、ミャンマーとの関わりの深い仕事も行っています。
今では、自身が世界で活躍することで祖国ミャンマーのイメージが良くなり、ミャンマー国民の活力になることも願っているんだとか!
森崎ウィンの本名はウィン・チョウ・トゥー
引用:https://www.chunichi.co.jp/article/525121
両親ともにミャンマー人であるならば、なぜ「森崎」という日本の姓なのでしょう。
実は、森崎ウィンという名前は芸名で、本名はウィン・チョウ・トゥーといいます。
「森崎ウィン」という芸名は、所属事務所が名付けました。
なぜ日本人の姓を使ったのかというと、芸能活動するにあたって、カタカナの名前だと日本語が話せないと誤解されてオーディションなどに受かりにくくなるのではないかとの考えからだそうです。
日本で芸能活動がしやすいように考えられた芸名だったのですね!
日本語・英語・ビルマ語を使いこなす
引用:https://crea.bunshun.jp/articles/-/27796
ハリウッドデビューを果たしている森崎さんは、英語力があることでも知られています。
ミャンマーの言語でもないのに、英語はどこで身に着けたのでしょうか。
実は、森崎さんの祖母はミャンマーで英語教師をしていたんだそう。
ハリウッド映画「レディ・プレイヤー1」のオーディションには、祖母から習った英語力を武器に見事に合格を果たしました。
引用:https://sst-online.jp/magazine/2506/
そしてもちろん母国ミャンマーのビルマ語も話せます。
つまり、日本語・英語・ビルマ語とトリリンガルです。
この3か国語を駆使して、ミャンマーの対外的な顔となる決意を語っていました。
父親と母親の画像
ミャンマー人である父親と母親はどんな人なのでしょうか。
こちらが、森崎さんの家族写真です。
父親は各国を巡る船の整備士で、現在は日本を拠点に貿易会社を経営しています。
母親は多国語を話せる事務員をしていたようです。
そんな実家ですが、
- 父親が貿易会社を経営している
- 森崎さんが育った日本の家が、渋谷区の高級住宅街にある
と噂です。
元々日本に出稼ぎに来ていた両親ですが、今ではとても裕福なのではと思われます。
日本に来た理由は治安が良かったから
引用:https://lp.p.pia.jp/article/essay/50372/129885/index.html
そもそも、森崎さんが日本に来た理由は何だったのでしょうか。
調べてみたところ、日本が治安に恵まれていることが理由だったようです。
というのも、森崎さんが生まれた頃のミャンマーは、治安がとても不安定でした。
引用:https://www.lmaga.jp/news/2023/12/762572/
当時のミャンマーの情勢はというと、森崎さんが生まれる2年前の1988年、全国的な民主化要求デモにより26年続いた社会主義が崩壊。
その後、国軍がデモを鎮圧するなどの不安定な状況となっていたのです。
そんな中で森崎さんの両親は、日本で働いていた経験や母方の祖父が日本に住んでいたこともあり、ミャンマーにいるよりは治安が良い日本への移住をした方が良いと判断したようです。
幼少期の画像やエピソード
引用:https://ananweb.jp/column/ongakutusin/472685/
ミャンマー人である森崎さん。幼少期はどのように過ごしていたのでしょうか。
調べてみるとミャンマー人ならではのエピソードや苦労も見えてきました。
早速見ていきましょう。
幼少期に出家していた
森崎さんの幼少期の画像がこちらです。
4歳ごろとのことですが、とても可愛らしい顔をしていますね!
森崎さんは、ミャンマーにいた頃、両親が日本に出稼ぎに出ていたため、祖母に育てられています。
10歳の時に移住していますが、14歳の中学2年生の夏休みにミャンマーに帰国し、仏教寺院で9日間の出家修行をも行ったんだそう!
9割が仏教徒のミャンマーでは、一生のうちに1度は出家することを推奨されているそうです。
日本ではあまり馴染みがない出家修行ですが、森崎さんはミャンマー人としての誇りを持っており、修行を積んだんだとか!
その後、恵比寿でスカウトされ、今の事務所に所属し芸能界入りを果たしました。
ミャンマー人という理由でいじめに遭った
引用:https://www.yomiuri.co.jp/otekomachi/20231208-OYT8T50117/
日本に来てからの森崎さんは、全てが順調というわけではなく、小学校ではいじめを経験しています。
森崎さんは小学4年生の時に日本で暮らすことになりましたが、日本に来た当時はまったく日本語ができませんでした。
さらに実家が裕福ではなかったため私立の学校やインターナショナルスクールではなく、普通の公立小学校に通うことに。
全く日本語が喋れない状態で公立の小学校に通うことになったため、最初の1年間は言葉が通じず、いじめに遭ってしまいました。
上級生から仲間はずれにされ、泣いていたのだとか。
引用:https://woman-type.jp/wt/feature/18423/
しかし、中には親切な友達がいたり、先生のサポートがあったようです。
そして、1年ほどで日本語をマスターした森崎さんは、サッカーを通じて友人ができ、その後は楽しく小学校生活を送れたそうです。
言葉も通じない環境で辛い経験をした森崎さんですが、そんな経験が自身を強くしたとも語っています。
過去の辛い経験をプラスに捉える森崎さんは素敵ですね!
世間の反応
ここで世間の反応を見てみましょう。
森崎さんがミャンマー人であることを知り、意外に思った人の声が目立ちます。
日本での滞在歴が長いこともあり、日本人であっても違和感は全くないですね。
しかしミャンマー人であることのアイデンティティーを大切にしている森崎さん。
今後の活躍にも期待したいですね。